身体を打つ音が鈍く聞こえる。剣戟のように高く響く音ではないから、周りには目立たないが。
実際に受けている当人達は、骨と肉の伝達で、体内に大きく響いていることだろう。
もう何時間になるだろうか。学校の屋上で、飽く事なく戦い続ける姿が二つ。

鞭を武器とする青年――ディーノは、離れた相手の腕に鞭を絡ませると、思い切り手繰り寄せた。
ウェイトの軽い少年はぐい、と引っ張られ、近づいた身体に蹴り上げたディーノの足が吸い込まれた。
…かのように見えたが、少年は寸前で体制を整え、腕を交差させて直撃を防いでいた。
そのまま少年の膝蹴りが伸ばされた足にくらいそうになり、ディーノは慌てて足を引き身体を離す。

数歩離れて一旦距離を置き、少年は追い打ちをかけてこない相手に、舌打ちをした。

「どうした?恭弥」
「僕は…、本気でやれって言ったはずだよ」

連撃が止まり訝しげに問うディーノに、恭弥は鋭い眼光を向け、唸るように言った。
不機嫌な声に、日頃から少年を知るものは恐れを抱くだろう。
しかしディーノに怯む様子はない。物怖じする事無く肩を竦める。

「やってるぜ?でなきゃとっくにやられてるだろーしな」
「相手を殺さないように加減するのが、あなたの本気?」

軽い口調で返す彼に、恭弥はうざそうに息をついてきつく睨みつけた。
ディーノはそれに困ったように頭をかく。

「確かに、殺ろうとしてるわけじゃ、ねぇからなぁ…」そう言うディーノに、恭弥は、
「ふざけないでくれる?」と、武器を構え直した。
殺気を溢れさせる相手にディーノは苦笑しつつ、自分も獲物を構えた。

「でも、そのオレに勝てないんだぜ?本気でやりたきゃ、もっと強くなれよ、恭弥」
「言われなくても、すぐに咬み殺してあげるよ…っ!」

鋭く言い放ち、気を満たした恭弥が踏み込んで。いつ終わるとも知れない戦いがまた、再開された。





「はー…、今日はやり過ぎちまったかな」

疲れた溜息を気だるげに吐いて、ディーノは座り込む。
数歩離れた先には倒れている恭弥が居た。身動き一つしない事から、どうやら意識をなくしているらしい。
戦いのさなかに打ち負かしたわけではない。
頃合を見計らって終わりを告げた途端、倒れこんでしまったのだ。
それだけぎりぎりの状態でありながら、途中で意識を飛ばさない執念は感嘆に値する。

「傷が絶えねぇな、ボス」

控えていた部下のロマーリオが、恭弥の手当てをしながら視線を向けた。
いつもは応急処置もさせない彼だが、意識のない今はもちろん抵抗はない。
よほど疲れているのか、触れられていても目が覚めないようだ。

「そろそろキツくなってきたぜ。最近、本気で殺っちまいそーになる」
自分は渡されたタオルで汗と血を拭きながら、ロマーリオに苦笑交じりで返した。

本気でやっているとはいえ、殺意があるわけじゃない。
当然、致命傷になるような攻撃は避けていた。それをさっき恭弥に指摘されたわけだが。
しかし近頃、恭弥の殺気に流されそうになる時がある。
この訓練を始めてからほんの数日だというのに、彼の成長は目覚しく、気を抜くと本当に殺されかねない。
その気迫に、今まで修羅場をくぐってきた経験が、つい急所を狙ってしまいそうになるのだ。
恭弥にしてみれば、それこそ望むところなのだろうが。

困ったように言う様子に、ロマーリオは「たいしたガキだな」と肩を竦めた。
ディーノも「ああ」と肯定して、天を仰ぐ。

「あと3年…、いや1年もしたら、オレなんて相手じゃなくなるかもな」
「何言ってんだボス、あんたは今のまま変わらねぇつもりなのかよ」

未来に思いを馳せるように空を見つめる彼に、笑い混じりでロマーリオは答えた。
ディーノはきょとん…と目を瞬かせた。顔を戻して数秒、彼と視線を合わせる。
そして次の瞬間、吹き出して愉快そうに笑った。

「…はは!オレもまだまだ成長途中って事か。恭弥の相手はオレにとっても修行って事だな」

笑って頭をかく青年に、ロマーリオもつられて笑顔で見返し、頷いた。
有能な部下は、話しながらもてきぱきと応急処置を終え、立ち上がる。

「手当てが終わったが、こいつどうするんだ?」
「病院連れてくと怒るだろうからな、応接室に運んでやってくれ」
「わかった。次はあんたの手当てだぜ、ボス」
「ああ」
ディーノは素直に頷くと、近づいたロマーリオにタオルを手渡した。





すっかり薄暗くなった部屋で、恭弥は静かに目を覚ました。
数度、瞬きをした瞬間に「起きたか?」と、声がかかる。
向かいのソファに座っているらしい青年の声だ。
僅かに身じろぎしただけだったのに、目ざとい。じっと見ていたのだろうか。

「…ここは――、あぁ…応接室…」
「そうだ。お前の家は知らねーからな」

視線だけを動かして場所を問おうとしたが、見慣れた天井ですぐに気づいた。
恭弥は身体を起こすと、慣れたソファに深く身体を沈ませ、ちらりと視線を上げた。
向かいに座っているディーノに「それで?」と目を細める。

「何であなたが居るの」
横柄に言う態度に、ディーノはやれやれ…と苦笑した。
眠っている時は年相応のあどけない少年の顔だったのに、起きた途端にこれだ。

(全く可愛げのない生徒を持っちまったもんだ…)
ディーノは心中でぼやきしつつ、恭弥の問いに答える。

「意識がないのを放っておけないから、付き添ってたんだよ」
「要らないよ」
「ったく、そう言うなって。今日はやり過ぎたと思って、心配してるんだぜ?」
「要らないお世話だよ」

取り付く島もなく、淡々と答える恭弥に、ディーノは肩を落として、「お、お前なぁー…」と非難めいた声を出した。
こういうやりとりは最初からではあったが、ここ数日も全く変わる様子がなく、さすがのディーノもめげそうになる。
愛想良くしろとは言わないが、せめて会話といえるコミュニケーションくらいとってくれないものか。

未だ電気をつけていないため、恭弥の表情は見えないが、どうせ仏頂面しているんだろう。
ため息をついて、それきり言葉の止まった話を「…ま、いいけどよ」と終わらせた。
リボーンですら“問題児”という彼と、簡単に打ち解けれるはずがないのだ。
(気長に行くしかないよなぁ…)
ディーノは気持ちを切り替えると、大きく伸びをして、欠伸をかみ殺す。
気を抜いたら一気に連日の疲れが出た気がする。できるなら少し、休みたい所だが…。

「…お前、一人で帰れるか?オレは少し、ここで休ませて欲しいんだが」
欠伸交じりに、疲れた様子で言うディーノに、恭弥は視線を上げて眉を寄せる。

「……ここで寝ていくつもり?」
不機嫌を隠さない低い声は予想通りのもの。しかし、ディーノは構わず、ソファに深く身体を沈ませた。
寝ている恭弥を見ていたらすっかり眠くなってしまったらしい。
ここんとこ寝不足だったから、どうにも我慢できそうにない。
学校のものにしては、ここのソファは上質で心地が良かった。

「仮眠程度、2時間でいいから貸してくれよ。ここは静かで、良く寝れそーなんだ」
「あなたは、あの取り巻き連中と居た方が良いんじゃないの」
「あぁ…いつもは、な。ただ…ちょっと、今は、気ぃ抜けてんだ…」

言ってるうちにも眠気は深くなってくる。
もし本気で嫌なら、殴りかかってくるんだろうな。
その場合はさすがに目が覚めるし、そうしたら諦めて帰ればいい。
でもこれで、見逃してくれるなら。少しはオレも、恭弥にとって――…

そんな事を考えているうちに、思考はとろとろと落ち始めていた。
静かになってしまった青年に目を向けて

「許可した覚えはないんだけど…」

と、ため息交じりの恭弥の声が、部屋に残された。





よほど疲れていたのか。話している間に眠り込んでしまった相手に軽く息をついた。
殴って起こして追い出す事もできるが…
恭弥はちらりと視線を上げて、まどろみ始めているディーノを見るが。
さんざん戦って疲れていた事もあって、面倒くさい…と、放っておく事にした。

数日前に突然現れたこの男は、赤ん坊の古い知人だと言った。
あの赤ん坊とは、たった一度、打撃を交わしただけだが、その瞬間に悟った。
身のこなしからわかる。見かけによらず、素晴らしく強いはずだ。
戦いたいのは山々だが、相手にその気がないらしく、何度もはぐらかされている。

その彼の知人ならば、この金髪の青年は強いんだろうと思った。
確かにその通りではあった。負けてはいない。だが、勝つこともできない。
ここ数日で何時間やりあったかわからないが、決定的な決着がつかないのだ。
圧倒して咬み殺して、すぐに終わらせるつもりだったのに。
しかも相手は、自分を訓練しているつもりらしい。連日飽きずに、自分の前に来るのだ。
この状態ではやめる事もできない。強制の修行なんてごめんだったが。
勝敗がつかない相手が来る以上、戦わずにはいられない。

(それだけじゃない…)

この男と戦っている間に、確かに自覚している事がある。
自分の力を本気でぶつけられる相手。全力で戦い続けられる相手に。
身震いするほどの昂揚を感じていた。楽しくて仕方が無い、こんな事は初めてだ。
この青年らには何らかの思惑があるようだったが、そんな事はどうでも良かった。
それに乗る事でこの戦いの時間が在るのなら、悪くは無いとさえ思える。

ただ一つだけ、不満がある。
訓練だとか、指輪がどうとかいう事は自分には関係ない。
誰であろうと自分は殺すつもりでやる。手加減などはしないのは当然だ。
しかしこの男は違う。確かに攻撃に容赦はない、だが…殺気がないのだ。
致命傷になる急所に入りそうになった時、僅かに加減するのがわかる。

どうしたら…、本気になる?

恭弥はソファから腰を上げると、今ではすっかり眠り込んで、身じろぎ一つしない青年の前に立った。
近寄っても気付かない。自分がこうして居るのにずいぶんと無防備な事だ。
この状態で攻撃されるとは思ってないのだろうか。

そう言えば、こうして二人きりで相対するのは初めてだ。
この男の側には常に黒スーツの奴が居る。
いつも飽きもせずに、二人の戦いを眺めているのだ。その姿は今は居ない。
だからなのか、知らないが。雰囲気が違う気がしていた。

今なら簡単に、咬み殺せてしまえそうだ。
恭弥は音も立てず片膝を床につけ、仰向けに晒されたディーノの首元に手を伸ばす。
つ…、と上から下に指を伝わせる。さすがに何かを感じ取ったのか、ディーノの表情が曇った。
しかし起きる気配はない。このまま、両手を添えて、力をこめてしまえば―――…

恭弥は目を閉じると、軽く息をついた。自分は別に、ただ殺したいわけじゃない。
戦って、跪かせて、屈服させたいのだ。
自分の力で圧倒して…咬み殺す…それでなくては意味がない。
その為だけだ。今、ここで手を下さないのは。
ディーノはまた、気持ち良さそうに眠っている。
それをつまらなそうに細目で見て、手を離した。

(でも、今の表情は、退屈しないかも知れないね)

一瞬見せた表情。眉を寄せた、嫌そうな顔。
痛みを耐える時に歪ませる表情に、少し似ている気がする。
恭弥は再度ディーノに手を伸ばすと、首筋を指先でなぞらせていった。
今度は意図的に。擽るような微妙な加減をもって。
すると、また同じように不快そうに眉を寄せ、逃げるように首を動かした。
なるほど…、確かにこの“行為”は。擬似的なものが見れるかも知れない。
恭弥の行動理由は、そう思い立つだけで成り立たった。
状況や性別に逡巡するような神経は持ち合わせていない。

恭弥は立ち上がると、余っているソファの端に座り、間抜けた顔で眠るディーノを見下ろす。
退屈しのぎにはなりそうだ。口端を吊り上げると未だ起きようとしない身体に、触れた。

Next / back