君のためにできること
スーツをきっちり着込んだ姿で、ソファですやすやと眠る彼の前に跪き愛しげに
頬を撫でる。
柔らかい笑みを浮かべて顔を寄せ、薄く開いた唇にそっと重ねた。
気持ち良い感触を暫く味わっているとドアが開く音がして、「コホン」とわざと
らしい咳払いが聞こえた。
近づく気配に内心で舌打ちしたが、呼んだのは自分だから仕方ない。
名残惜しく思い濡れた彼の唇を指でひと撫でして上体を起こして立ち上がる。
「そろそろ時間ですが、本当に良いんですか?」
「くどいね。僕に二言は無いよ」
「でも…貴方の恋人でしょうに」
ちらりとソファへ送られる視線に「無事は保証出来るから大丈夫なんだ」と、口
角を上げて答えた。
自信に満ちた声で言われた青年は首を傾げる。
「思いだしたからね、あの日…彼が現れた時の事を」
空間を見つめ、緩く微笑む表情は過去を脳裏に描いているのだろうか。
そんな柔らかな顔を見た事がなかった為、青年は驚きに目を見開いたものの、自
信の理由を納得して頷いた。
「なるほど、実験は成功するわけだ」
「そう。だから遠慮しなくていい」
常に見せる不敵な笑みに変えて、彼はその場から一歩下がった。
促されるままに青年は一つ頷くと、眼鏡を指で押し上げて直し。
ここに来た目的を成すために、床に置いたアタッシュケースに手を伸ばした。
* * *
一体何が起こったのかわからなかった。
ゆっくりと風呂に入って、ほかほかで心地良い気分のままバスローブだけを身に
纏い、のんびりしようとしていた所で。
唐突に煙に包まれたかと思えば、ぐらりと浮遊感に包まれて眩暈がした。
咄嗟に身体を支えようと手を伸ばすと、柔らかい革の感触が後ろ手に触れる。
怪訝気に瞬きをしている間に煙が消えて、掴んだものがソファーの背もたれだと
わかった。
自分はベッドに座っていたはずなのに…。
そもそも光沢のある黒のソファなんてこのホテルにあっただろうか。
質感は高級な革の柔らかさで心地良いものだったが、素足に当たる慣れぬ感触に
首を傾げる。
「あぁ…、中々良い格好で現れたね」
状況が掴めずに辺りを見回そうとした所で背後から声をかけられ、ディーノは驚
いて振り返った。
気配も何も感じなくて瞠目する。そしてその人物を見上げて、さらに目が見開か
れた。
「え、…え?」
真黒なスーツに黒のネクタイをきっちりと締めた、痩身の青年がそこに立ってい
た。
切れ長の黒い瞳に黒髪。一見鋭く見える眼差しだが、自分を見る光がやけに柔ら
かく感じる。
良く知っているようで、全く知らないような目の前の人物に、ディーノの脳内は
クエスチョンマークが飛び交っていた。
そそんな戸惑いを感じ取ったのか青年は小さく笑うと、穴が開くほどに凝視してい
るディーノの前に膝を着いた。
歩く姿や上体を屈める所作…、しなやかで流れるような動きに目を奪われ動きが
止まる。
座ったディーノの前に青年は跪き片足首を恭しいとさえ言える所作で握り、あろ
う事か足の甲に口付けをした。
触れた唇にビクりとディーノの足が揺れた。気障な行動にはカァ…と頬が熱くな
り、茫然と見ていた意識が戻り足を引こうとした。
すると優しく添えているだけに見えるのに、意外にしっかりと掴まれていて解放
されない。
「僕がわからない?」
足を捕えたまま甲に息がかかる距離で視線だけを上げて見つめられ、ディーノの
鼓動は激しく動いていた。
見つめられる黒い瞳に射抜かれて、体内が熱くなりそうだ。
こくり…と乾いた喉に唾を送り込むと、問いには慌てて頭を左右に振る。
「た、…多分…だけど。…恭、弥…?」
ディーノは詰まりながらも、そう答えた。
慣れた音より若干低いが、深くて耳触りの良い吐息混じりの声。
なめらかな陶磁の肌に吸いこまれるような深い闇の切れ長の瞳。
短く切られているものの黒髪は自由に流されていて、艶やかに明かりを反射して
いた。
全ての印象が記憶にある彼より落ち着いて柔らかいもので、身体も随分成長して
いたが。
ディーノが知っている雲雀恭弥と重なる部分が多く、兄弟でもなければ同一人物
としか思えない。
そして自分の知る限り、恭弥に兄は居ないはずだった。
それでも自信なさげに言うのに、眼下の青年はふわりと微笑んで「正解」と答え
た。
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