4:それはまるで食欲に似た、

視神経を焼かれるような、鋭く見据える瞳。
戦いを前にすると、更に強く色めくその視線は。
獲物を前にした捕食動物のようだな…と思った。

(じゃあ何か。オレはこいつの餌か…?)

戦い自体が餌になる恭弥にとってみれば、その例えは間違いではないかも知れない。
何度戦っても倒れず、そして呆れずに応えてくれるディーノは、恭弥にとっては格好の獲物だろう。
すでに家庭教師の区切りはついたというのに。今日も今日とて。
仕事のついでに気軽に寄ったら、問答無用で勝負になってしまった。

「うわの空だね。余裕じゃない…っ?」

低い声と共に、シュっと空気が切れるような音が下から聞こえ。
ディーノは反射的に顔を逸らした。頬から僅か数ミリの所を、トンファーの先が通り過ぎていく。
かすってもいないのに、鋭い風圧で皮膚が裂け、血が舞った。

「っとと、あっぶねー…」

続けて来る横からの連撃を寸前で掴み、二人の動きが止まる。

「やる気ないの?咬み殺すよ…?」
「気があろうがなかろうが、いっつもそれじゃねーか、お前はー」

掴んだ鉄の棒が、ぐぐぐ…と顔の方に寄って来る。
まだまだ力の有り余っている相手に苦笑して(今日も遅くなるかな)と長丁場の勝負を覚悟した時。
ぽつり、と雨の感触が肌に落ちた気がした。
ふ…っと上を見ると、顔に水滴がついて。一呼吸後には雨がパラパラと降ってくる。

「こりゃ、駄目だ。今日は止めとこうぜ、恭弥」
「別にこれくらいの雨、どうって事―――…」

ないじゃない…と、続けようとした言葉は、ザザザァァー…と、急激に大降りになった雨に遮られた。
ディーノは慌てて「ほら、戻るぞ!」と、恭弥の腕をひっつかみ屋上からの出口へ向かう。
遠くで控えていたロマ―リオも付いて来て、一同は階段の踊り場へ駆け込んだ。

「ずいぶん急な降りだったなー…、結構濡れちまったぜ」
「どうする、ボス。帰るか?」
「あー…、いや、着替え取って来てくれねぇか?」
「だが、それじゃあ…」

時間がかかるぜ?と言う表情のロマ―リオに、ディーノは目配せする。
“いいから”と言っているように見えたのは長年の付き合いの感。
そのまま何も言わないボスに肩を竦めて、ロマ―リオは「了解」と階段を降りて行った。

「応接室にタオルとかねーか?」
「……あるよ」

髪から落ちる水を鬱陶しげに払っていた恭弥は、短く応えると歩き出した。応接室に向かうのだろう。
ディーノは、すたすたと遠ざかる背に急いで着いて行こうとして…

「……待てよ…、と…っと、ぅわわわ、わーーー!!」

濡れた足元に滑って、恭弥の横を転げ落ちていった。





「……信じられないな、あなたって」
「ちょっと足が滑っただけだろー…、いっててて」

応接室でタオルを貰い髪の水滴をとりながら、新たに増えた傷に顔を顰める。
あー…口端切れてんなー…
恭弥との勝負よりも階段から落ちた傷の方が多い気がする。
タオルの端で唇を押さえ移った血に、ディーノは情けない表情で肩を落とした。

しかし、ほとんど擦り傷で大きなダメージはないらしい。
慣れているゆえか、受身ができるのか、もともと丈夫なのかわからないが。
あの高さから転げ落ちてこの程度の負傷、というのも信じられない。
恭弥は呆れたように小さく息をついて、手早く髪を拭きベストを脱いだ。
すぐに避難したため、中までは濡れていないようだ。
入り口付近のハンガーにベストをかけていると「これも頼む、恭弥」と後ろから声がかかった。
返事する前に飛んできたシャツを、振り向きざまに受け止める。
嫌そうに、じろ…とディーノを睨んだものの、突っ返す事はなく隣のハンガーにかけてやった。

長袖のシャツ1枚しか着ていなかったディーノが一番被害を受けたようだ。
タオルで上半身を適当に拭いて、はー…、と長く息をつく。

「恭弥はシャツは脱がなくていーのか」
「中はほとんど濡れてないよ」

制服のズボンを軽く拭いてタオルをハンガーに引っ掛け、恭弥はそれで終わりらしい。
ディーノも一息ついたらしく、今度は自分でタオルをかけに来た。

「強い降りだったが、こんだけで済んで良かっ…、ぇっくしょぃ!」
「――――もう肌寒いのに、そんな薄着で来るからだよ」

語尾が盛大なくしゃみに変わった青年を、恭弥は冷ややかに横目で見る。
隣で鼻をすすったディーノは「って言ってもなぁー」…と苦笑する。

「移動が車だし、日本の気候良くわかんねーんだよ、周りはいつも同じだし」
「……あなたも黒服で生活すれば」

引き合いに出した部下を差してそう言うと「あれ窮屈だからなー」と笑った。
揶揄したのに気付かない相手に憮然として、唐突に恭弥はディーノの腕を掴む。
ディーノは不思議そうに見るものの行動を妨げはしない。
どうするのかと眺めていると、右腕の外側に顔を近づけ、ぺろ…と、舌の感触が伝わった。

「…て」

沁みる痛みに、見えない所に傷があった事を知る。
少しだけ眉を寄せたディーノを見上げ、恭弥は自分の唇を舐めた。
(あの目だ…)
じ…っと見つめる黒い瞳に、さっき見た光を感じ取る。すなわち、捕食者の目。
吸い込まれるように逸らせずにいると、徐々にそれが近づいてきて…
反射的に目を閉じたら今度は口端の傷を舐められた。
食われるかと思った、などとあり得ない想像が恥ずかしくて憮然とする。

恭弥はそのまま腕を伸ばしディーノの頭を寄せると、自分がつけた一番深い傷を舌先でなぞる。
ぐり…と、抉られるように強く、頬に当る感触に顔を顰めた。

「いてー…って、恭弥」

むず痒い痛みに耐え切れず、ぐい…と肩を押して恭弥を引き剥がした。

「勝負を途中で止められて不満だったか?」
「当たり前でしょ」
「あの場合しょうがねーだろー…、ったく、飢えた獣みてーな目しやがって…」

自分を壁に追い込み、見上げる瞳の強い光は、引く気配を見せない。
恭弥はディーノの言葉に、「間違ってはいないかもね」と喉奥で笑う。

「この欲求って、凄く原始的な感じがするから」
「原始的?」
「本能で動かされるもの。そうだね…食欲にも似た感じ」
「……やっぱ、オレって餌なのかよ」

不満げに息を着きつつも、ディーノはそれ以上恭弥を押し退けようとはしない。
それに気を良くしたのか、恭弥は艶然と笑うと、湿った冷たい肌に唇を寄せて、歯を立てる。

「…ぃって。ホントに食う気じゃねーだろうなぁー」
「自分で差し出したんだから、大人しく食べられて」

そう言って少しついた歯の痕を、今度は強く吸った。
皮膚から血を吸われるような痛みに、ぴく…と身体が揺れる。

(ばればれだったな)と、ディーノは苦笑する。
どうせ燻ってるであろう恭弥を宥めるために、ロマ―リオを遠ざけた事。
だから、これくらいの事は想定内ではあったから。

「仕方ねぇ。今は餌になっておいてやるよ…」

そう言って微笑むと、寄りかかってきた恭弥の腰に腕を回した。


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2007.10.15

む。何か不完全燃焼だ…(笑)すげー難しかった、このお題…(笑)
飛ばして違うのやれば良かったかな。でも、一応順番どおりに進めてます。次のが難しいよ、あぁぁぁ(笑)
普通に恭弥が滾る話でも良かったんですけど。どうも、最初に考え付く話を書きたくない傾向があるようです(笑)
本当はしっとり大人な話になるはずだったのに、勝手に転んだんですよ、あの子…!!(笑)
あの状況で転ばないはずがない、と葛藤しました…、そして負けました(笑)