■ヴ/ィン/テージ
※10年後設定です
恙無く周りへの挨拶を終え、ディーノは給仕からグラスワインを受け取り目立たないように壁に寄って行く。
さり気なく一息付いている、と言うサインに周囲は視線は向けながらも近づいては来ない。
ふう…、と上等な香りをグラスを揺らして味わい、双眸を細めていると、隣から軽い咳払いが聞こえる。
顔を向けなくとも正体は知れている。今自分に近寄れるのは、側で控えていたロマーリオ以外に居ない。
ちらりと視線を横に向ければ、読み取り難い表情の中に微苦笑が浮かんでいた。
「退屈してます、って顔に書いてあるぜ?ボス」
「……それは事実だから仕方ねぇな」
他には聞こえない程度の小声で窘める部下に、ディーノは肩を竦めてワインに口をつける。
対した取引きもない同盟ファミリーのパーティなど、気合も入るはずもない。
たまたまこの地域に出向いた所に急な招待を受けてしまい、体面上断れなかっただけだ。
別に拒否しても良かったのだが、出席者の中に1名だけ無視できない要人がいた。
その人物とは親しくしておいて損はない。そんな打算的な事もあり出席したは良いが。
「ひとまず挨拶を終えたら帰っちまったしな」
「あちらさんも顔見せ程度だったんだろ」
「…オレも引き上げて良いか?」
取り立ててパーティに出席する意味もなくなった為、やる気のない吐息と共に呟いた。
横で「やれやれ」と嘆息するのが聞こえるが、それを無視してワインを飲み干し扉に向かおうとして。
身体を向けた瞬間に扉から入室して来た人物に息を飲む。
しかし動揺は胸の内に隠し、落ち着かせるように通りすがりの給仕から、ワイングラスを交換した。
「…恭弥じゃねぇか。何でこんな弱小ファミリーのパーティに…」
再び満たされたグラスに口を付ければ、自分の疑問の代弁のようにロマーリオが呟く。
言葉通り、出て行こうとした扉から中に入って来たのは久しぶりに見る恋人、雲雀恭弥。
暫く連絡もくれないと思えば、こんな所で何をやってるんだか…。
すでに味などどうでも良くなった赤い液体を含みながら、ちらりと目線を上げて。
面白く無さそうに目を細めた。
恭弥は常の黒いスーツをばしっと着こなし、優美な立ち振る舞いで室内を歩いていた。
それが1人ならばこれほどに動揺もなかったのだろうが。
まるでエスコートするかのように傍らに女性が居たのだ。
自分の方には一瞥もせず、挨拶に回っている女性の後ろにぴったりと寄り添っている。
20代前半と言った所だろうが。
ゆるく巻いた明るい金の髪が印象的で、柔らかな微笑が美しい女性だった。
今まであらゆる美女を見慣れてきたディーノでも、綺麗だと思える。
そして、付き従うこれまた美形の東洋の青年。
目に止まれば見惚れて溜息を付いてしまうような一対が、パーティ会場の視線を集めていた。
「ボー…ス、見過ぎだ」
「……、と…悪い…」
いくら周りが注目しているとは言え、ロマーリオが咎めるほど自分の視線が不躾だったのだろう。
軽く咳払いをすると顔をずらして隣の部下に戻す。
苦笑がはっきりと浮かぶロマーリオは、軽くディーノの腕を叩いて「気持ちはわかるが」と続ける。
「あんたの場合、ご令嬢の方に熱い視線を送ってるように見えちまう」
「………んな事ねーだろ?」
そんなに熱っぽく見ていただろうかと眉を潜めたディーノに、ロマーリオは小さく笑った。
「任務か取引か、はたまたスパイか…、そんな所だろ?」
「わかってるっつーの。…ただ、理性と感情は別もんなんだ」
「妬けるか?」
「……当たり前だろ。さーて、これ以上睨んじまう前にオレは部屋に行ってるぜ」
「おいおい、主催に挨拶くらい…」
「よろしくな、ロマーリオ。オレは気分が悪くて退室したって事で」
あえて恭弥には視線を向けず軽く言って、ひらひらと肩越しに手を振ると。
ディーノはロマーリオが背後で盛大に溜息をつくのを聞きながら会場から出て行った。
理解はしている。
恭弥の気持ちを疑った事はない。長年過ごした日々はそんなに脆いものじゃない。
ただ、頭と感情は別だ。
馬鹿げているとは思うけれど。
当たり前のように人前で横に立てる、女性の姿に。
沸き立つ感情を無くす事は不可能だと思った。
*
「よお、恭弥…。お前にしては珍しい事をしてるな」
化粧直しか何か、女性が1人外に出た後、ロマーリオは恭弥に近づいていた。
恭弥はちらり、と視線を向けると挨拶も何もなく再び視線を逸らす。
相変わらずの無愛想に苦笑する。事情を答える気はないらしい。
しかし、そのまま無言で過ごすと思いきや。意外にも恭弥が話し掛けてくる。
内容は予想通りのものだったが。
「あの人は何か言っていた?」
「…それはオレが言う事じゃねーな。自分で聞けよ」
「………」
肩を竦めて飄々と言うロマーリオに、恭弥はほんの僅か眉を潜める。
長年見ていないとわからない変化に小さく笑った。
「面白くなさそうだな、お前にしても此処で会うのは予想外だったか?」
「その通りだよ。来ると知っていたらもっと上手くやる。…あの人を揺らがすような事はしたくなかった」
「お前のその気持ちだけは信用してるぜ、恭弥」
ロマーリオはディーノの事になると滑らかになる口に小さく笑い、胸元から一枚のカードキーを取り出した。
そして訝しげに見ている恭弥の胸ポケットに素早く放り込む。
「上のホテルにオレ達は泊まる予定なんだが…、そのキーお前に譲ってやるよ」
「ワオ、…任せてくれるんだ」
「お前じゃなきゃいけねーんだよ。オレは別に部屋を取るから、よろしく頼むぜ」
「同じ部屋なの?」
「はは、妬くなよ?続きの2部屋だ。ボスは先に向かって行った」
揶揄るように言うとぽん、と軽く腕を叩いて「頼むぜ」と続ける。
ディーノを思う為だけの行動に、恭弥は機嫌も治ったのか薄く笑い頷いた。
「…わかった。僕の仕事の方は何とか折り合いをつけよう」
戻って来た女性を暗に指して言うと、話は終了とばかりに恭弥は迎えに扉に向かう。
その背にロマーリオは小さく呼びかけた。恭弥は立ち止まって振り返る。
「……何?」
「出来る限り、明日の昼までには返して欲しいんだが」
「それは、…約束しかねるな」
ふ…、っと鮮やかに微笑んで片手を上げて遠ざかる相手の背に、ロマーリオは困ったように頭に手をやる。
ボスの為とは言え、少し無理をしたかも知れない。
明日の仕事はキャンセルかねぇ…、と頭を振り。
いろいろな手配の算段を頭に浮かべながら、ロマーリオは主催の元へ挨拶に向かった。
*
ホテルの1階にあった専門店のワインが何本も机に並んでいる。
さっとシャワーを浴びてバスローブで居たディーノは、グラスの液体をぐい…、と煽り溜息を付いた。
既に空の瓶は3本ほどになっている。それでもディーノの思考は彷徨う程ではなかった。
かなり強いのを選んだにも関わらず、酒に慣れすぎて酔えない自分が恨めしい。
酒なんかに逃げるな…と言う事なのかもな。
と苦笑しつつソファから立ち上がるとベッドに向かい、うつ伏せに倒れこんだ。
丁度その時、隣の部屋のドアが開けられる音がした。
奥の部屋にいたディーノには扉は見えないが、恐らくはロマーリオだろう。
別れてからゆうに2時間は過ぎている。
たかが挨拶だけに随分時間がかかったな…と、突っ伏したままぼんやり考えていれば。
続き部屋のこちらへのドアが開いて気配が入ってきた。
断りもなく入室するのも珍しいなと思いつつも、先ほど逃げるように出てきた小言を言われるかも知れない。
すぐにばれるだろうが答えるのが面倒で、ディーノはそのまま寝たふりをする。
入ってきた気配は声をかけようとはせず、ベッドの端に座った。
さすがに怪訝に思っていると、ふわり…と頭に下りる優しい手。
髪の感触を味わうように梳いて撫でていく…、その手を。
ディーノは疑う余地もない程に、知っていた。
「…恭弥…、っ…?」
枕に埋めていた顔を上げ振り向き様に驚いた声を発する。
予想通りベッドに座りディーノを見ていた恭弥は、突然起きた相手に驚いてはいないようだ。
聡い彼の事だから寝息の違いでわかるのだろう。それにしてもどうして…
「ずいぶん、飲んだんだね」
ベッドに座り呆けて見ていたディーノに、ちらりと机の空き瓶を見て言う。
咎める口調でもなかったのに何故か気まずくて、ディーノは視線を彷徨わせて返事ができなかった。
黙っている相手に気を悪くした風もなく、恭弥はベッドに乗り上げると。
じっとしているディーノの身体を抱き締めた。
酒の所為かほのかに暖かい体温が心地良くて肩口に頭を摺り寄せる。
まるで甘えるかのような仕草に先ほどまでの沈んだ心がすっかり溶けて行くようだ。
現金なものだな…と、内心で苦笑しつつも。
愛しい相手の背に手を回す。
「恭弥…、オレ…」
恐らくは気付いているであろう相手に、答えようとした言葉を恭弥の人差し指が遮った。
じっと見つめる目が、言わなくてもわかってる…と言っているようだ。
柔らかく微笑んだ表情に鼓動が揺れる。
どれだけ長く共に居ても、どれだけ同じ表情を見ても。
こんな顔を見るたびに胸が熱くなる。
「僕が安らげるのは…、あなたと共に居る時だけだよ…ディーノ」
添えた指先がディーノの唇を横に辿って、それから優しく頬を撫でる。
先の出来事の言い訳も何もしない。
まるでオレがちゃんと理解をしている事もわかっているかのように。
そしてそれでいて、一番欲しい言葉をくれるのだ。
数年の間に熟成された気持ちが、恭弥を変えていた。
そしてその変化が、自分と居る時だけのものだと。
たった一人、オレだけのものだって。
こうして近くに居るだけで、感じる事ができる。
ただ、性別の釣り合いだけで嫉妬してしまった自分が情けなくて。
ディーノは視線を逸らすように俯く。
「ごめんね、嫌な場面を見せた」
「謝るなって。…わかってる」
「うん、それも知ってる。でも…、あなたには笑っていて欲しいから」
表情が翳り視線を落としていたディーノが、はっと顔を上げた。
先と変わらぬ穏やかな顔。愛しげに見つめる黒い瞳が、ふ…と笑いかけてくる。
それにつられるように、ディーノは柔らかく微笑んでいた。
恭弥は眩しそうに双眸を細めると、引き寄せられるように顔を近づけて唇を啄ばむ。
触れるだけの優しいキスを何度も何度も。
それが嬉しくて擽ったくて、ディーノは小さく笑った。
「何か、優しいな…恭弥」
「あなたにだけね、今ごろ知ったの?」
「いや…知ってた…、よ」
啄ばむ合間に言葉を交しながら、次第にキスが濃厚なものになっていく。
絡まる吐息、鼻腔から漏れる息が徐々に熱くなっていく。
どれだけ飲んでも酔えない頭が、今では蕩けそうになっていた。
「覚えておいで、あなたを酔わす事ができるのは…僕だけだよ」
まるで酩酊したような思考の中に、低くて甘い声が染みこんで来る。
ぞくりと背筋が痺れるような感覚。身体の中がじんわりと熱くなってくる。
たまらず擦れた声を漏らしたら小さく笑う声が聞こえて。
耳元に恭弥の唇が近づいて、囁いた。
…愛してるよ
脳髄を焼くような強烈な感覚が駆け抜ける。
濃厚で香り高い最高のヴィンテージワインを飲んでいるかのように。
お前の声は甘くて、…熱い。
どれだけ不安を覚えようとも、一瞬で流れるのを感じる。
何にも崩す事のできない、今までの記憶が簡単に甦るから。
ディーノはどんどん深くなるキスに目を閉じて恭弥の首に腕を回した。
そのまま身体がベッドに沈んでいく。
もっともっと濃密な時間が始まるのだ。
どんな高級なワインよりも、芳醇で上等に酔える喜びに包まれながら。
何よりも愛しく甘い香りに、溺れて行った。
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