「好きだぜ」

唐突に言われた言葉に、思わず立ち止まる。

全てが終わったあの日。彼に本国に帰ると言われても、恭弥には何の感慨も浮かばなかった。
素っ気なく「そう」と答えて屋上から戻ろうとした時、急にそんな事を告げられて。
僅かに眉を潜めて振り返る。

あまりにも突然に言われた言葉に、その感情がどういうものにしろ意味を聞こうとしたのに。
ディーノはいつの間にかすぐ真後ろに来ていて、避ける間もなく柔らかい感触が唇に触れる。

「……、っ…」

キスされたのだと認識すると、恭弥の目が見開かれた。
多少の混乱もあれど驚きに取り乱すような事はなく、すぐに離れた顔を先よりも眉間に皺を寄せて見つめた。

「餞別…って事で許してくれよ」

不可解さに複雑な顔をしていたのを不機嫌と勘違いしたのか、彼は苦笑して恭弥の頭をぽん…と撫でた。
そしてそのまま、隣を通り過ぎて行く。
動きもなく何も声をかけない恭弥にディーノは「それじゃあな」と短く言うと屋上から去って行った。
寂しげに緩く微笑んだ表情は、視線を向けなかった恭弥には見えない。

(…好き?)

誰も居なくなった屋上で彼が去っていった扉を見つめて、恭弥は反芻する。
告げられてからキスされたのだから、ただの友愛や師弟愛ではないのだろう。
彼のお国柄を考えると一概には言えないかも知れないが、挨拶では口にはしない…はず。

恭弥は指先で唇に触れて、今だ残っている感触を思い浮かべる。
今更ながら鼓動が揺れるのを感じたが何故かはわからなかった。
考えても結論の出なさそうな事に、恭弥は頭を振って息を吐く。
突然で避けれなかった、自分の意に沿わぬ事をされて腹立たしいだけだ。
感情が泡立つのをそう結論付けて、恭弥は屋上から降りて行った。


* * *


毎日のように来ていた彼が、来なくなってから暫くが過ぎた。
恭弥は理由のわからない苛立ちが日に日に募っていくのを感じていた。
荒れた心を鎮める為に、適当な群れを咬み殺しては過ごして居たが。
そろそろ咬み殺す対象も居なくなってきている。
対象が風紀委員に回って、草壁から泣きつかれたが知った事じゃない。

しかし常なら咬み殺す事で発散できる事が、全く心が晴れない。
思い当たる事は一つある。ただ、認めたくはなかった。
原因はやはり…、あの時から消えない声なのだ。

“好きだぜ”

告げられたディーノの声が脳裏で反響して、眉を潜めた。

(それが何だって言うんだ…)

恭弥は心中で呟いてソファに深く腰掛ける。
そんな感情を持った事もないし、自分に向ける事に理解も出来ない。
あの男は突然現れて、家庭教師面してただ戦って、戦って。
それだけで日々が過ぎて行ったのだ。
恭弥とて、そんな感情を匂わすような事はしていない。

確かに、一つの事に縛られない恭弥が彼が来る度に付き合って居たのは稀にない事だ。
しかしそれは、それだけの戦いが出来る相手だからであって、個人に対する執着ではない。
恭弥が望んでいたのは、彼の強さのみ。

それなのに、戦いとは全く関係のない事で心が捕らわれている。
好きだの、恋だの。そう言った感情なんてくだらないし、自分には縁の無い事だ。
他人の気持ちなんてわからないし信じられない。
信じれるものは己の強さだけ。

今までも言われた事が無いわけではなかったが、やはり興味もないから考えるまでもなく断っていた。
今回だって同じで受けるつもりもない。それに彼は答えを求めて来なかったのだ。

(そうか…、だから気になるのかも知れない)

言うだけ行って、去って行ったから。断って終わったというキリがなくて、もやもやするのだ。
何事も白黒ははっきりつけたい方だから、きっとそれが原因なのだ。

だいたい…当の本人と言えば、あんな事を言ったにも関わらずその後訪れる事もなければ連絡もない。
本当に告げたような感情があったのなら、あれだけで終わって満足なのだろうか。

そこまで考えて恭弥は苦虫を潰したような表情になる。
これではまるで、何か次の行動をされたいみたいじゃないか。

恭弥はソファから立ち上がると、何かに打ち付けるように空をトンファーで切った。
次に会った時は絶対に断る言葉を投げつけて、すっきりと終わらせるのだ。

それでも、原因がわかっても苛々は治まらない。
こんな…たったあれだけ告げられた事に翻弄される自分にこそ腹が立つ。
自分の思い通りにならない感情に不自由さを感じていた。

ムカムカする…。早く…、また来れば良いのだ。そうしたら断る事も出来る。
それにまた、思い切り戦って、戦って。発散できるのは…あの強さだけだ。
彼の強さ…だけなのだ…。


Next